久留米大学循環器病研究所の雑感

雑感

この「雑感」のページには、研究活動で感じたことや、循研方針の背後にある考えを不定期に掲載します。記事内容は循環器病研究所の公式見解でなく、職務に基づく私個人の考えとお受け取りください。

久留米大学 循環器病研究所 青木浩樹

マトリックス型研究組織(2019.11.17)

今回は研究組織の体制について考えてみます。

かつての医局制度のもとで、医局研究室では多くの若い医師が研究に従事していました。そこでは、先輩から後輩に研究方法が伝承される徒弟制度で研究が行われていました。若い医師は、見よう見まねで研究する中で、言葉やマニュアルにならない豊かな「暗黙知※」として問題発見・解決力を身につけていったのです。

暗黙知は経験によってのみ伝えられるため、この体制では多くの労力や時間が必要でした。そこには言葉にならない価値があるため、私も「若い頃にはバッファーや電気泳動ゲルを自作したものさ」などと自分の過去の経験を語ってしまうのです。

現在、医学研究や医療が高度化し若い医師の「大学離れ」が進む中で、この研究体制を維持することは難しくなってきました。学ぶべき知識はどんどん増えるのに、使える時間や労力という資源は有限だからです。

しかし、研究をあきらめて医療経験や専門医取得だけに専念してしまうと、問題発見・解決力を身につけることは難しくなります。医療経験や専門医の勉強では既にわかっていることを学ぶのに対して、問題発見・解決力はわかっていないことを相手にするものだからです。研究をやめると病気の理解が進まないという、人類全体の問題もあります。

この問題を解決するために、循研では「マトリックス型研究組織」の体制を取っています。その要は、研究を主体的に進めるプロジェクト部門(研究班、研究者)と、研究方法を提供する機能部門(サポートチーム)の役割を分けた上で、双方が力を合わせて研究プロジェクトを遂行するという考え方です(『研究体制』図参照)。これは、限られた資源を効率よく使って研究成果を上げるためのデザインです。

 

マトリックス型研究所1

かつての研究体制では研究者個人の努力で方法を開発し習得していたのに対して、マトリックス型研究組織ではサポートチームが安定した研究方法を提供します。この体制により、より高度な研究を効率的に実施することができますが、ともすると研究がサポートチーム任せになってしまう恐れもあります(『研究体制の比較』表参照)。

マトリックス型研究所2

 

循研は『今ないものを世の中に』を標榜しており、「新たな研究成果」と「問題発見・解決力を持った人材」を世の中に送り出すための組織です。そして循研の調査研究では、問題・発見解決力を獲得するためには、「問題に主体的に取り組むこと(自律性)」と「試行錯誤」の2つが必須であることがわかっています。

サポートチーム任せの研究でも成果は上がるかも知れませんが、試行錯誤を人任せにする「名ばかり研究者」では問題・発見解決力を得ることはできず、本末転倒というものです。マトリックス型研究組織である循研が本来の機能を発揮するためには、研究者が主体的に研究プロジェクトに取り組む意識(プロジェクトオーナー意識)を持ち、試行錯誤することが必須です。

研究方法の習得やデータ取りは『理解の構造』の下部構造にあたります(『理解の構造』図参照)。かつての研究体制では、研究者はこの下部構造を作るために多くの資源を投入する必要がありました。それは大事な試行錯誤の機会でしたが、上部構造を作るための資源が不足する(論文を書く時間がなくなる)こともしばしばありました。

マトリックス型研究所3

 

マトリックス型研究組織では研究方法の再現性とデータ取りの効率が大幅に向上します。そのため研究者は、事実から様々な解釈を生み出し、適切に組み合わせて『理解の構造』を作るための論理的な試行錯誤により多くの資源を投入することができます。日々の研究活動の中で資源を投入する対象を、『理解の構造』の下部から上部にシフトさせることで、研究者は問題発見・解決力を獲得するとともに、より価値のある研究成果を生み出すことができます。

循研教授としての私の役割は、『今ないものを世の中に』を達成するためにマトリックス型研究組織をデザインし、適切に運用することだと考えています。

暗黙知と形式知(Wikipediaより)
暗黙知:経験的に使っているが簡単に言葉で説明できない知識
形式知:文章・図表・数式などによって説明・表現できる知識

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