久留米大学循環器病研究所の雑感

雑感

この「雑感」のページには、研究活動で感じたことや、循研方針の背後にある考えを不定期に掲載します。記事内容は循環器病研究所の公式見解でなく、職務に基づく私個人の考えとお受け取りください。

久留米大学 循環器病研究所 青木浩樹

「理解の構造」で見たiPS論文:検証可能な課題設定(2018.8.8)

循研では思考フレームワーク「理解の構造」を取り入れています。論理的な思考過程を8つのブロックで整理するシンプルなものです。今年は循研ピアレビューを「理解の構造」に沿って実施したところ、その使い方が今ひとつ分からないという意見が多くありました。未完成の科研申請書を題材としたため、「理解の構造」の使いこなしと申請書のいずれに問題があるのかが分かりにくかったことが一因と思います。

そこで、完成された論文を「理解の構造」で整理して見ます。題材は我が国が誇る山中伸弥先生の最初のiPS論文です(Cell 126, 663, 2006)。「理解の構造」で整理すると、この研究が緻密な論理に支えられていることがわかります(図)。

理解の構造_iPS

体細胞をES細胞と融合すると体細胞核が初期化されることは当時から知られていましたが、そのメカニズムは不明でした。「体細胞の初期化メカニズムの謎」を検証可能な課題にするために、論文では大胆な仮定を置いています。それは、初期化因子は遺伝子でコードされた数種のタンパクの組み合わせであり、初期化された細胞はES細胞と似た性質を持つという仮定です。

これらの仮定が正しいかどうかは、実験してみなければわかりません。初期化因子は脂質のような代謝産物かもしれませんし、単なる組み合わせではなく比率や作用する順番が重要かもしれません。数百種類の物質の混合かもしれません。初期化された細胞も、ES細胞とは全く違う性質でありながら全能性を獲得するかも知れません。解明される前の謎には無限の可能性があり、全てを検証するなら無限の試行錯誤が必要で解決は事実上困難でしょう。

論文には検証されなかったことや解決を導かなかった検証は記載されないので、どのようにこれらの仮定が置かれたのか、勝算がどの程度あったのかは分かりません。一つ確かなのは、これらの仮定を置けば正しいにせよ誤りにせよ、検証が可能になることです。

検証を実施すれば謎が解けるかもしれませんし、解けなくても知識のネットワークは広がります。謎を謎のままにせず検証可能な課題にすることで「体細胞の初期化メカニズム解明」という世紀の大発見が成し遂げられたのだと思います。

このiPS論文には、上記の他にも課題検証に適したエレガントな実験方法や、事実の解釈から課題解決を導く巧みな論理が記載されています。是非、この美しい論文を読んで「理解の構造」とどのように対応するかを見てください。課題発見や解決のヒントが得られるかもしれません。

「理解の構造」は論文の構造を基本にしています。使いこなせば論文作成のガイドになり、研究に限らず様々な問題を整理し課題を解決するためのツールにもなるでしょう。